なぜ、恋愛ハウツーブログのテーマがオナニーなのか
皆さんは、オナニーの時どんなオカズを使っていますか?
メジャーな所だとAV、オタク寄りだとエロ漫画や同人誌、昨今最も活用されているのはネット上のエロ動画でしょうか。マニアな向きだとポルノ小説で抜く、という方もいらっしゃるかもしれません。
では、ここで皆さんに簡単な問題を出してみます。それぞれの見識に従って答えてみて下さい。
Q:以下のものを「オカズとして正しい順」に並べなさい
- AV
- エロ本
- ポルノ小説
- ネットの無料エロ動画(Xvideos等)
- 妄想
皆さんには簡単過ぎましたね。もちろん答えは⑤→③→②→①→④です。
言うまでもない事ですが、オナニーとは「自分探し」です。オナニーをする事で「本当の自分」を探し、見つけた「本当の自分と対話」する。そうやって人は「己を知る」のです。
「汝自身を知れ」は、古代ギリシャの哲学者ソクラテスが真理を探究する出発点とした言葉です。古代の賢人ソクラテスも「真理」つまり「人間が生きる目的や存在の理由」を知りたければまずオナニーしろ、と説いていたに違いありません。人々はこの言葉を神殿の入口に刻んで遺し、日夜オナニーに励みました。
自分の深い部分と向き合おうとするなら、その作業は片手間でぞんざいに済ませていいものなはずがありません。つまり、その場ですぐにタダで手に入るネットの無料動画は、利便性に優れてはいますが、あなたの魂を深化させるのにふさわしくはありません。
人は簡単に手に入るものに対して価値を感じません。子供の頃、お小遣いを貯めてようやく手に入れた中古のゲームソフトは、今でも思い出に残る宝物だったのではないでしょうか。でも大人になった今、ちょっと興味をひかれて買った新品のゲームも、やってみて期待ほどでもなかったらそのまま惜しげもなく積みっぱなし。同じゲームで、買った時の値段は新品のゲームの方が高くても、です。
その点、AVも同じ映像ソフトではありますが、お金を出さねば手に入らず、お気にな一本を探し出すのにも相応の手間とリスクが常にある点、付加価値はネットよりも高いです。
前述の答案を見ればわかる通り、総じて「映像よりも書籍の方がオカズとして正しい」とされていますね。
単純にそれだけを見ると「先生の性癖が映像よりも紙」というだけに見えるかもしれません。でも、事はそう単純ではありません。先生も映像作品が大好きです。正直、効率よく射精に至ればいいだけの話であれば、書籍よりも映像の方が断然「便利」です。
しかし、オナニーをあくまで「魂のステージを上げるための修行」として捉えるなら、その「便利さ」は決して望ましいものではないのです。
映像は直接的にリアリティーを感じられるという便利さゆえに、人の想像力を育てることをしません。それでは「自分探し」「修行」には向かないのです。書籍は写真もしくはイラストなので動きませんし喘ぎ声もあげません。小説に至っては紙面に活字が並んでいるだけです。ただ、その限られた情報だけで自分の脳を刺激し、自らの精神世界を作り上げ、それを頼りに右手に握るエンタシスの柱をしごき、達する。「修行」においてより重要なのは、自分の「想像力」を鍛錬することです。
なので、当然至高のオカズとは「妄想で抜く」、つまりイマジネーションオナニー(イマニー)です。イマニーこそが至上にしてオカズの極北、最も徳の高い自慰行為とされています。
人間にとって、想像力は本当に大切なものです。想像力は人をクリエイティブにし、様々な美しい物や便利な仕組みを生み出します。また、人が他人に優しくなれるのも、相手の立場に立って考える想像力があるからです。想像力こそが世界を美しくしているのです。